
4月30日(土)14時から、本校講堂「思永館」にて、小正路淑泰元本校校長による記念講演会、および本校卒業生の永井龍雲さんによる記念コンサートが行われました。会津若松市長、みやこ町長、会津松平家第14代当主の他、多くの方が参加されました。

5月1日(日)10時から、甲塚墓地にて郡長正公152回忌墓前法要が行われました。その中で、本校生徒を代表し、高校生徒会副会長の泉田直太朗(椎田中学校出身)さんが、「会津から遠く離れたこの育徳館で、高い志を持って勉学に励んだ郡長正公の志を、後輩として受け継いでいきたい」と挨拶がありました。
【郡長正とは】
戊辰戦争後、会津藩復興のため、郡長正公をはじめ7人の子弟が豊津育徳館に留学しました。成績や剣術に優れた長正公でしたが、会津の柿や母が懐かしいと手紙に書き、母親からはそのような心持ちは会津の精神に反すると注意を受けています。その後、このことが周囲に知られ、会津藩の名誉を汚し申し訳ないと責任を取り、16歳で自刃しました。(諸説あり)明治4年5月1日の出来事です。
現在、みやこ町・豊津郷土史会と会津若松市はこの出来事をきっかけに交流を続けています。
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